最長8km未満、最大幅4km弱 のこの小さな島が地獄の戦場となった サイパン、グアム、テニアン島などを制圧した米軍はB29爆撃機による 日本本土への長距離爆撃を開始したが、護衛戦闘機の航続距離の問題から より日本に接近する硫黄島への攻略作戦を早い時期から計画していた 日本側の防衛 大本営は米軍が硫黄島を攻略することを予測し、全民間人の島外退去を実施 硫黄島の洞窟を利用した地下陣地の構築に着手、計画は地下で全島を結び 最も深いところで12mから15m、坑道全長28kmの内、18kmが完成するが 摺鉢山への坑道も僅かなところで未完成まま米軍を向かえ撃つことになった 兵員総数約21,000名 小笠原兵団第109師団 混成第2旅団 第27航空戦隊 少年兵 迎撃作戦 1 米軍上陸まで一切の砲撃を止め沈黙すること 2 米兵の上陸後、500m進軍した時点で集中砲火を開始する |
米軍側兵力 艦船800隻 航空機4,000機 総数25万人 1945年2月16日 硫黄島に熾烈な艦砲射撃と空爆が開始される 2月19日 02:00時 米軍旗艦の砲が、D-Day の合図 爆撃機100機が島を攻撃し、艦砲連射がそれに続く... 08:30時 約130隻の上陸用船で海兵隊9,000名が翁浜方面から上陸を開始 標高169メートルの摺鉢山に向かって進む米兵には身を隠すものはなく 荒い火山灰のため、塹壕を掘ることもできず そこへ日本軍の一斉砲火..... 50cm、1m が生と死 米兵の叫び....... しかし、夕方までには摺鉢山は包囲され、約30,000人の海兵隊員がさらに上陸 摺鉢山へ向かって、接近............. 21日 八丈島経由で飛来した第ニ御楯隊の神風特別攻撃隊32機の内4機は 空母サラトガの船首、側面、船底、甲板へそれぞれ体当たり攻撃を敢行 サラトガの搭載機36機が炎上、約30人が死亡し空母は走行不能となる また、護衛空母ビスマルクシーには4機が飛行甲板に体当り攻撃、 同艦は艦内で誘爆を繰り返した後、350名の乗員を乗せたまま沈没 摺鉢山斜面の50cm、1m が戦闘の連続.... 守る日本軍兵士も血みどろ..... 2月23日午前10時15分 ついに摺鉢山頂上が制圧され星条旗が掲揚された 2月24日 21:00 海軍航空隊 根本少尉が搭乗する一式陸上攻撃機が硫黄島上空に飛来、 機内には郵便物を格納していたが、既に米軍が制圧している硫黄島には投下地点は無く 猛烈な対空砲火 をくぐって米軍占領地域に六〇瓩陸用爆弾12発を投下し生還する 日本軍必死の戦闘継続........ 3月16日 米軍は日本軍に降伏勧告状を送付 3月17日 壮絶な戦闘を続けてきた日本軍・栗林中将から大本営に 訣別電文 が打電される その後6月末まで日本軍による奮戦は続いた.................. 日本側戦死者20,129名 生還者 1,033名 米軍の戦死者 6,821名、負傷者21,865名 太平洋のこんな小さな島で .............. 合掌 |